2007年8月16日木曜日

Kang & Kilpatrick (1992)

Kang, W., & Kilpatrick, J. (1992). Didactic transposition in mathematics textbooks. For the Learning of. Mathematics, 12(1), 2-7.

だいぶ前にこの論文について触れられているものを読んだ.米国でもフランスの数学教授学を中心に据えた研究があったのかと思い,一度読もうと思っていたのをやっと今日読んでみました(余談:FLM はネットで手に入らないから面倒).

論文は,教授学的変換(教授学的置換:まだ訳語がどっちがいいか迷っている)の視点から教科書や授業での変換プロセスを分析したもののまとめでした.後半の方は,ブルソーのいろいろな現象(トパーズ効果やメタ認知シフトなど)を教授学的変換の視点から例を挙げながらどのような変換プロセスがあるか示していました.

内容自体は普通でしたが,一ヶ所「そう言えば」とちょっと考えたところがありました.それは教授現象の一つである formal abidance (ブルソーの語では,metamathematical shift)の例のところです.著者はこの現象の例として一般から特殊への教授法をあげており,一般から特殊に基づいた教科書が米国で19世紀に出版されていたことに触れられています.参考文献は,Rash (1975) です.

ここで思ったのですが,米国の教科書を見ると,幾何も代数も高校では,どうもまだ一般から入っているように思えます.おそらく教科書自体の数学を厳密にするためなのかもしれませんが,子どもは覚えることがたくさんあって大変そうです.例えば,この論文でも指摘していますが,代数計算に関して最初に公理がその名前とともに与えられているなどです.そのため,こっちの高校生は「結合法則!」とか「分配法則!」などの言葉を意外とよく覚えています.
一方,「一般から特殊」を考えてみると,1960年代の数学教育の現代化も言ってしまえば,同じ現象を推進していたように思えます.一般から特殊の代わりに抽象から入りましたが,ほぼ同じことではないでしょうか.数学自体の出来上がった形 (formalise されたもの) が一般的で様々なものに適応できることを考慮すれば,一般から入った方が学習が速いと思うのはよくあることなのでしょう(もちろん意味の理解は伴いませんが).

Boero & Szendrei (1998)

Boero P. & Szendrei R. (1998). Research and results in mathematics education: some contradictory aspects. In A. Sierpinska & J. Kilpatrick (Eds.) Mathematics Education as a Research Domain: A Search for Identity (pp. 197-212). Dordrecht: Kluwer Academic Publishers.

ICMI Study の一環としてまとめられた書籍の一論文です.イタリアの大御所の先生とハンガリー人の共著となっています,この論文では,数学教育の研究の立場が,他国においても日本と似たり寄ったりなのがわかります(10年前の話ですが).そして,数学教育が一つの学問領域となり,かつ数学教育の実践に貢献するために,どのようなことが必要なのか「私見」が述べられています.著者は「私見」と言っていますが,その内容は数学教育研究一般に対して言うことができ,多くの国において必要なことだと思いました.

話を進めるにあたって,数学教育研究を以下の四種類に分けています.

- innovative patterns
- quantitative information
- qualitative information
- theoretical perspectives

簡単に説明しますと,Innovative patterns は,実践研究です.新たな指導法を考え,実践し,うまくいった!のように教師を対象とする実践雑誌に出ているようなものが想定されています.quantitative information は,学力調査のような量的・統計的な研究を指しています.qualitative information は,より詳細な質的な分析による研究を指します.そして最後の theoretical perspectives は,教授や学習の現象を説明するための理論やモデルを構築するといった研究です.最初の二つには pragmatic な数学教育を良くするといった直接的な目的で進められることが多く,あとの三つはより基礎的な科学的目的からなされることが多いとのことです.

この枠組みからみると,日本の多くの研究は,最初の二つ半ぐらいの研究が多いように思えます.三つ目の範疇に少し入るものでも,どうも「~を大事にしたい」「をすべきだ」などのイデオロギー的なものが多く,学問的になりきれていない感じがします.

話がずれましたが,本論文では,数学教育を一つの特定の研究分野にするために,学問的研究の範疇に入り得ていない innovative patterns の研究結果と,教師や数学者に対して数学教育研究を説得するために十分でない theoretical perspectives による研究結果の両方が必要であろうと述べています.実際, innovative patterns の研究結果として「~式指導法」「~式学習法」など様々な方法が発明されますが,それらがよいとする理由は曖昧です.一方,theoretical perspectives の研究は現象等のメカニズムを説明する理論構築を進めていますが,それだけでは無用の長物です.それがうまく説明できるものであることを示さなければなりません.つまり,前者を後者で説明,説得できれば,数学教育研究が一学問分野としての位置づけがはっきりしてくるという訳です.その際,難しいのは,専門用語をあまり用いずにいかに教師や数学者の言葉で説明するかと著者は言っていますが,その通りでしょう.努力が必要です.