2008年2月29日金曜日

Margolinas et al. (2005)

Margolinas, C., Coulange, L., & Bessot, A. (2005). What can the teacher learn in the classroom? Educational Studies in Mathematics, 59, 205-234.

一般に,わが国の教師は,他国と比べると教える技術が高いと思います.それは大学などで行なわれる将来の教師を育てる教員養成の賜物というよりも,教師になったあとの教師教育,教員研修の賜物でしょう.わが国の教師教育は,主に,授業研究や校内研修によっています(もちろん大学等での研修もあると思いますが).そして特に授業研究は,近年,教師教育のひとつの方法として米国で注目を浴びており,授業研究を導入する試みまでなされています.しかしながら,世界各国においては教育制度が異なり,教員研修,教師教育の方法も異なります.すると,単に日本の方法を直接輸出することはできません.輸出しても定着は難しいのではないでしょうか.もしかすると,米国のように教員研修の方法があまり確立されていない国ならまだ輸出しやすいのかもしれませんが.

そのような中で,数学教育研究の関心のひとつは,教師教育,教員研修において実際にどこでなにが教師の学習をおこしているのか,を知ることです.授業研究などを実施することにおいて,教師はどこかで教える技術を学習していることは確かでしょう.しかし,具体的に何が,と問われれば明確に答えられません.これに明確に答えることができれば,「授業研究」という名称は使われない,他国の教師教育の方法とどの要素が共通しているのか示すことができます.そして,他国の教師教育の方法をいかに変更すれば,授業研究と同様の効果が得られるか知る手がかりが得られます.実際,「授業研究」は,いまのところ,「機械は動くけど,なぜかはわからない」という域を出ていないからです.

と,前置きが長くなりましたが,この論文は,これに類似した問題意識より,いかに教師が学習をするか,を分析しています.この論文を読んで,同じ枠組みで日本の授業研究による教師の学習を分析してみたいと思いました.どのようなところで学習が生じているか示せると思います.

なお,論文は様々な点で面白かったのですが,ここでは,学習の原理と教師の milieu の水準について書き残しておきます.まず学習の必要十分条件が設定されています.この点をきっちり示しておかないと,何をもって学習が生じたか主張することができません.論文で与えられた事例では,すべての条件を満たしていないため,「一時的な学習」,「局所的な学習」と呼ばれています.以下がその条件です.

1) 反目的 milieu の原理
2) 反省の原理
3) 有用性の原理
4) 無知自覚の原理

これらは,議論の余地もありますが,フランス数学教授学の枠組みにいる研究者にとっては,それほど変なものではないでしょう.思うに,教師に限らず,子どもを含めた学習に関する研究において,学習の根本原理を明確に示していないものが多いと思います.そのため,何をもって学習が生じたか明確に示すことができていません.心理学や認知科学などの研究では,事前と事後のテストで統制群と実験群の結果を比較する古典的な手法がとられることがよくあります.しかし,当然ながら,この方法では,いかに何が学習を生じさせたのか示すことができません.示されることは,用いた教育法がよくわからないけど結果的に通常の方法より多く学習を生じさせることができた,ということのみです.具体的にどこで,そしてなぜという問いには答えてくれません.すると,やはり上のような原理を明確に設定することが肝要になります.

次に教師の活動を水準の異なる milieu で特徴づけているところは,非常に面白かったです.これにより,教師が常にいろいろな milieu の影響を受けながら授業を準備し,授業を進めていることがうまく説明されています.これらは,Margolinas (2004) の記事でも書きましたが,それぞれの水準において異なる知識が必要になり,それぞれの知識を獲得するためには異なった教育が必要になることが示唆されます.

水準についての詳しい説明は,この論文で与えられていませんが.Margolinas (2002) に詳しいです(仏語ですが).ここでは異なる水準のみ,以下に示します.

+3 教授・学習についての価値・考え
+2 大局的教授計画
+1 局所的教授計画
0 教授行為
-1 生徒の活動の観察

(+3) は,わが国で「教育観」と呼ばれるものや,指導要領で示されたものなどに関わる milieu. (+2) は,長いスパンで見た教育計画に関わる milieu です.例えば,学年の教育計画に関わるものです.(+1) は,短いスパンで見た教育計画に関わる milieu です.例えば,単元,もしくは一つの授業の教育計画に関わるものです.(0) は,生徒との相互作用や教授行為における意思決定などに関わる milieu です.つまり,実際に教える行為に関わるものです.(-1) は,生徒の観察に関わる milieu です.つまり,生徒が生徒の milieu と相互作用している状態 (教師の milieu) に関するものです.それぞれは,独立しているわけではありません,授業前中後においてその場その場で異なる水準の活動がなされます.さらにマイナス方向には,生徒の活動をより詳細に捉えることにより,水準を追加することもできます.

ところで,わが国では,これらの水準に類似したものがある気がします.そう,指導案です.多くの指導案がこの4つの水準をカバーしているのではないでしょうか.(0) と (-1) は多くが表で示されています.面白いですね.ますます詳細に分析したくなります.実は,数学の教授と学習に関する理論の構築を目指したフランス数学教授学と実践的な日本の数学教育には,多くの共通点が見られます.これ以外にも色々あります.長くなりましたので,それついてはまた今度書きます(仏語で書いたものがあるのですが).

2008年2月21日木曜日

Margolinas (2004)

Margolinas, C. (2004). Modeling the teacher's situation in the classroom. In H. Fujita, et al. (Eds.) Proceedings of the Ninth International Congress on Mathematics Education (pp. 171-173). Kluwer Academic Publishers.

この論文は, ICME9 の論文集にあるものです.2000年に日本で開催された ICME です.Regular lecture の論文ですが,3ページと非常に短いので,論文というよりは要旨のようなものです.そんな短い文章ですが,いくつか思ったところがありました.それをここに記録しておきましょう.

1. Devolution について
教授学的状況理論で鍵となる概念に devolution というものがあります.教師が生徒に問題に取り組むように責任を移す過程を指します.一般には,この devolution の語は,歴史などにおいて,王様が権力を司法や立法の機関に移すこと(つまり委譲)を指します.教授学的状況理論では,この意味をまねて,devolution の語を使っています.このため,この邦訳にも,「委譲」という語を使ってきました.なお,このお話しはなんとなく知っていたのですが,実際にこのことが書かれたものに出くわしたことがありませんでした.この論文が初めてです.そういう意味で,ここに記録しておこうと思ったわけです.

2. 制約のレベルと教師の知識のレベルについて
この 3 ページの論文では詳細が書けないので,論文が何の話をしているのかわからないと思います.ここでは,milieu の語が使われていませんが,教師の milieu を異なるレベル(局所的なものから大局的なもの)で捉えることが中心に書かれています.教師の実践を異なるレベルで捉えることは,教授学的状況理論だけでなく,人間学理論などでも近年よく見られます.私は,2001 年に初めて異なるレベルに関する講義を聴きました.そのときは,あまりよくわからなかったのですが,最近だいぶその必要性を感じてきました.特に,この論文を読み,再度,やはり教師の実践を分析するなら異なるレベルを考慮する必要がある,と思ったのでした.