2016年11月12日土曜日

÷ の記号 (割り算記号の歴史)

この記号の意味は何でしょう?英語では obelus と呼ばれます.日本人にはあまりにも当たり前で問いにもならないかもしれません.

もう10年以上前になりますが,2004年にノルウェーのベルゲンという町でPMEという数学教育学の国際会議がありました.それに参加した際のお話です.ベルゲンの街を散策していると,ある洋服屋さんでバーゲンらしきものをやっており,そこには,でかでかと「÷30%」と書かれていました(写真を撮るべきだった).そのときの私の反応は,おそらく皆さんと同様と思われますが,「値段が高くなってしまうやんけ!(笑)」でした.0.3 で割れば,元の値段の3倍ちょいになってしまいます.一緒にいたスイス人とマレー系アメリカ人も同様の反応で,一緒に笑っていました.

ところが,数年後,あるデンマーク人と話していたとき,ふとしたことから,その意味を知りました.そう,実は北欧では,「÷」をマイナスの意味で使うというのです.ノルウェーで見た「÷」の記号はマイナスを意味し,「÷30%」は「30%引き」を意味していたのです.ビックリです.ノルウェー人の算数レベルが低かったわけではなく,単に,笑っていた者が無知だったのです(笑).

調べてみると,カジョリの文献に詳細に書かれていました (Cajori, 1928/1993). カジョリによると,ヨーロッパでは,16世紀頃は「-」をマイナスや引き算に使っていたそうですが,その頃から「÷」にとって代わるようになり,19世紀頃まで(北欧では20世紀になっても)「÷」をマイナスや引き算に使うことが見られたとのことです (idem., pp. 240-243).したがって,「÷」がマイナスや引き算の意味で使われていた時代があり,ノルウェーでの利用はその名残だったのです.

ちなみに,ドイツやフランスの大陸ヨーロッパでは,割り算の記号は「÷」ではなく,「:」を使うことが多いです.「÷」を割り算に用いる記法は,あるスイス人の17世紀の文献で見られ,その記法は大陸ヨーロッパやラテンアメリカでは定着しなかったものの,その翻訳がイギリスで発行されたため,イギリスで広まりさらにアメリカにも広まったとのことです (idem., pp. 270-271).それが日本にも明治以降に入ってきたのでしょう.

なお,日本語のウィキペディアの除算記号のページは,英語から部分的に訳したためか,記述がずいぶん間違っています(しかも2007年から!).北欧で除算記号として使われたのではなく,北欧では最近までマイナスや引き算の意味で使われていると,英語版では書かれています.さらに,ラーンやペルは考案者ではなく割り算の意味で使い始めた最初の人々です.さらにさらに,この記号が分数表記を変形したものというのも怪しいですね.英仏のウィキペディアによれば,obelus は短剣符や細い棒などを意味するギリシャ語を語源とするようです.いずれにしても,ご注意ください(誰か修正してください).

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A4%E7%AE%97%E8%A8%98%E5%8F%B7
https://en.wikipedia.org/wiki/Obelus

Cajori, F. (1928/1993). A history of mathematical notations (two volumes bound as one), Dover.

2016年8月14日日曜日

国際学会による数学教育学の研究者育成

最近,国際的な学会による数学教育学の研究者育成・養成が盛んになってきたように思います.まだまだ新しい研究領域である数学教育学が今後も発展していくためには大変大事なことですね.そこで以下では,いくつかの国際的な学会による研究者育成の取り組みを紹介したいと思います.

2016年にドイツ・ハンブルグで開催されたICME-13 (http://icme13.org/) では,Early Career Researcher Day なるものが,24日のICMEの本会議の開始前に開催されました.このような取り組みは前回のICMEではなかったように思います(間違っていたら教えてください).これは数学教育学の研究経験の少ない人を対象とした研究者育成プログラムです.その内容を見ると,本会議以上に興味深いものがたくさんあります (http://icme13.org/early_career_researcher_day/program).いろいろある専門領域に分かれており,それぞれにおいてその専門領域がどのような研究なのか,第一線の研究者が講義をするようです.私も聞いてみたかったです.もしかしたら演習なども含まれるところもあるかもしれません.

こうした研究者育成プログラムは他の国際学会でも進められています.PME (http://www.igpme.org/) の年会では少し前から Early Researchers’ Day なるものが,本会議とは別に開催されています.いつから開催されているかは知りませんが,昨年のオーストラリア・ホバートで開催されたPME39 (http://www.pme39.com/), 今年のハンガリー・セゲドで開催されたPME40 (http://pme40.hu/) では開催され,さらに今年の総会では,この研究者育成プログラムを年会の正式なプログラムに位置付けることが決定されました.

学会による研究者育成の動きはヨーロッパではもう少し早くからありました.1998年に設立された ERME と呼ばれるヨーロッパ数学教育学会 (http://www.mathematik.uni-dortmund.de/~erme/) というものがあります.この学会には YERME という若手の会があります.この会は若手の有志の単なる集まりではなく,その代表2名が理事のようなものにも入り ERME の運営にも関わるというERMEの正式な組織です.若手の意見を学会に反映できる仕組みを取り入れているのです(この仕組みはフランスのARDMという学会も同様です.一方,わが国では・・・).そして,ERME による2年に一度の国際会議 CERME では,今年のICMEやPMEのように,本会議の前にYERME day という若手対象のプログラムが用意され,さらに,2年に一度,YESS (YERME Summer School) と呼ばれる若手研究者向けのサマースクール(夏期講習会)が開催されています.2016年8月はチェコで開催のようです (http://ocs.pedf.cuni.cz/index.php/YESS/YESS8).

これらの国際学会による研究者育成プログラムでは,第一線の研究者による講義と演習・ワークショップからなることが多いようです.演習やワークショップはグループでデータを分析しディスカッションするというのがよくある形式だと思います.教科書やプロトコルなどのデータを何かしらの理論を使ってみんなで分析し議論することにより,実際に研究を進める上で必要となる実技能力の獲得を目指すわけです.日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが,ヨーロッパに限らず,学会による研究者育成プログラムに限らず,国際的にはよく見られるもののように思います.

また,こうしたプログラムの目的は,研究者としての技能を習得すること以外に,研究者のネットワークを作るということにもあります.ワークショップでのディスカッションや食事会など,知り合いを作れるような機会が用意されています.同じような境遇の研究者と知り合い仲良くなって(他の研究者は敵ではありません),いろいろな問題を共有するとともに,将来の共同研究へもつながれば,と考えるわけです.最近のEUでのヨーロピアンプロジェクトなど,数学教育学研究は国際共同研究が基本になってきました.その素地を作っているのでしょう.さらに,数学教育学研究の問題意識や方法論などの共有化をももたらすという目的もあるかもしれません.実際,数学教育学の研究は国によって非常に大きく異なることがこれまでしばしば指摘されてきました.そして近年,理論のネットワーク化など,種々の研究の相互理解を促す試みが多く進められています.こうしたプログラムに参加することにより,早くからいろいろな問題意識や方法論を共有化する機会となるのでしょう.脱線しますが,確かに,フランスの場合などは,数学教育学研究が発生してきた初期から,この共有化のために,若手に限らず,数学教育学の研究者を対象にサマースクールを開催してきました(1980年から),そのため,問題意識や理論,方法論は驚くほどに共有されています.

以上,長くなりましたが,こうした研究者育成が海外では着々と進められているわけです.日本も頑張りたいところですね.とりあえず,わが国の博士課程の院生の方,博士を取って間もない方,年齢にかかわらず数学教育学研究の経験の少ない方(学校現場が長かった大学教員の方,数学の専門から数学教育学に関心をもった方,などなど)などにこうしたプログラムに大いに参加して欲しいところです.英語のブラッシュアップにもなります.ちなみに,ICMEやPMEでは,Young researcher ではなく,Early Career Researcher, Early Researchers の語が用いられています.これは,数学教育学の分野は教員等をやってから博士課程に進み研究者になる方が少なくなく,研究者のキャリアは少なくても年を取っていることがしばしばあるからです.